台湾の民主化を進め、初の直接選挙による総統を務めた李登輝元総統が7月30日、入院先の台北栄民総医院で死去。97歳だった。
李氏は終戦前から台湾に住む「本省人」として初の総統に就任。中国大陸由来の国民党政権による一党独裁体制を内側から変革し「台湾民主化の父」と呼ばれた。中国からは「台湾独立派」と批判された。
1971年に当時の総統、蔣介石の長男、蔣経国に抜擢され、国民党に入党。1988年1月、蔣経国の死去により総統に昇格した。
2000年までの12年間の総統在任期間に、憲法を6回改正し、1949年の中台分断以降、改選されていなかった立法院(国会)の全面改選を行うなど民主化を推進。1996年の総統選を直接投票とし、自ら初の民選総統に当選した。また、中国全土の統治を前提とした政治体制から、実効支配する台湾に合わせた体制への改編を進めた。
中国は一連の改革を台湾独立の動きとみなし、1996年の総統直接選に合わせ弾道ミサイル発射など軍事演習を実施、米国が2個空母打撃群を派遣し「第3次台湾海峡危機」となった。
流暢な日本語を使い、「22歳まで自分は日本人だった」と語るなど親日家。
日本との関係では、2001年に心臓手術で訪日する際、ビザの発給が政治問題化した。2016年夏までに計8回訪日し、2007年には実兄が祭られている靖国神社に参拝。台湾も領有権を主張する尖閣諸島をめぐっては、台湾内で批判を受けながらも「日本の領土だ」と公言し続けた。
8月1日に台北市中心部の台北賓館に追悼会場が設置され、炎天下にも関わらず大勢の市民が長蛇の列を作った。