前回の最後に述べた皇室典範の改正については、私も国政に参画する一人として真剣に取り組む覚悟です。さらにもう一つ大事なことは、「伏見宮」家はつい70年前まで皇位継承資格を持つ皇室の「藩屏」として確かに由緒正しいお血筋には間違いないけれど、その中からどのようにして皇室にふさわしい方をお迎えするか、という問題です。結論から申せば、その際には、皇室典範の規定に従い、三権の長と皇族で構成される皇室会議の議論に委ねるべきでしょう。
ここで一つ紹介しておきたいのですが、一九四六年に十一宮家が皇籍離脱する際、当時の加藤進宮内府次長が重臣会議の席上、皇籍を離れる旧宮家の方々を前にして、「(今後)万が一にも皇位を継ぐ時が来るかもしれないとのご自覚のもとで、身をお慎みになってご生活いただきたい」と述べたというのです。実際、そのようにお慎みになっている方は、例えば東久邇家や賀陽家などにいらっしゃるようです。
このような議論をすると、「当人の意向を確認したのか」と言う人がいます。しかし、皇籍取得の制度もできていないのに、いきなり尋ねて、「じゃあ、私がやります」なんて言う方はいないですよね。だからこそ私たちには体制を整備する責務があるのです。いずれにせよ、私たちが培ってきた二千年の歴史を、今後とも引き継いでいく方策は十分にあるのだということを、ぜひこの機会に皆さんと共有したいものです。
もちろん皇籍を取得されるか否かは、慎重の上にも慎重な意思確認が必要です。この際、傍系としての宮家の役割は極めて重要です。直系が行き詰まった時、皇統を引き継ぐために特別の宮家として「世襲親王家」が創設され、天皇家の歴史はずっと続いてきました。
たしかに「皇位継承は、男性であろうが女性であろうが、直系であるべき」と言う直系優先の考え方もあります。「男系男子に拘れば、やがて皇統が途絶えてしまう」と。しかし、じつは直系優先のほうが、お妃様にかかる出産のプレッシャーは甚大でしょう。むしろ、三つ四つの傍系が準備されていれば、いずれかの家に男子が生まれる可能性があるわけですから、その意味で直系のお妃様が追い詰められなくて済みます。これこそが、歴史の知恵だと思います。
率直に申せば、二千年以上も続いてきた歴史と伝統を、私たちの代で安易に放棄してしまうなどということは、まさに畏れ多いと言わねばなりません。百年後に振り返った時、「なんだ、これは正統性がないではないか」という批判に必ずさらされるでしょう。その時にはもはや取返しがつきません。皇統の正統性は破壊され、日本が日本でなくなってしまうのです。
歴史の関頭に立つ私たちには、国家の大本たる皇統二千年余の歴史を踏まえた謙虚な姿勢こそが求められると考えます。
(衆議院議員 長島昭久)