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投稿を削除しろ【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第12回】

2018.07.27 Vol.Web Original

 趣味でサンバをやっているのですが、実は皆さんが思っているよりも熱心にやっていたりします。

 毎日、会社行って、仕事終わりに練習に行って、帰宅してから資料を作ったり衣装を直したりという生活。

 土日は丸一日練習で踊りっぱなし、もしくは、イベントやお祭りに呼んでいただいてショーやパレード。

 8月に浅草サンバカーニバルがあるのですが(これもあまり知られていないことですが、コンテスト形式で順位がつきます。だから日本のサンバ関係者は、このイベントを目指して一年頑張っているのですね)、それに向かって今の時期は超詰め込み期だったりします。

 私が所属しているのは、それほど規模の大きくないチームですが、3年前からパレード演出を任せてもらい、今年はダンサーとしても重要なポジションを任せてもらえることになりました。

 ありがたいことに、チーム外の方にも知っていただくことが増え、チームの代表として振舞う機会があることも。

 ……というと聞こえはいいのですが。

 そういう私の環境の変化に伴って、さまざまな発信がしづらくなりました。

 たとえば、ネガティブな発言は一切できなくなりました。

 不安や怒りなど負の感情を人に見せてはいけないようです。

 常にみんなを盛り上げる存在でい続けなければならない。

 まぁ、それ自体は、自分自身に良い影響を与えている部分もあるのでいいのですが。

 面倒だなと思うのは、SNS等で自分の仕事のことを発信できなくなってしまったことです。

 これまでは、「最近はこんな作品を作ったりしています」「こんなイベントをやります」ということをお知らせしたりしていました。

 私が少しでも発信することで、女性向けAVのことを知ったり、考えたりしてもらう機会が生まれればと思って。

 でも、アダルトであるという表面だけをとらえ、何かよくないもの、非常識なものだと思われて、「サンバのイメージを悪くする」とか「もっと立場にふさわしい振る舞いをしろ」と言われ、投稿を削除させられたりしたことがあります。

 正直、いつもの私であれば、こっちだって意思があってやっているんだ!と付き返すところなのですが。

 私の発言で、チームの人に迷惑がかかったり、サンバに関わっている人全体がいやな思いをしたり、偏見を持たれることがあったらいけないと、ぐっと言葉を飲み込んでしまったのです。

 ましてや、浅草サンバカーニバルという一大イベント前の大事なときに、何かトラブルを起こすのは本位ではありません。

 そんな折、先日、はあちゅうさんとしみけんさんが事実婚を発表されました。

 案の定、ネット上では大変な話題になりましたね。

 ここぞとばかりにお二人を叩こうとする人もたくさん見かけました。(なぜ叩くんだろう? 何か迷惑を被ったのか……)

 私は、お二人とは直接面識がないものの、こういう反応は予想していただろうし、覚悟していただろうし、そして予想しているよりも傷ついたんだろうな、と想像しています。

 でも、それでもちゃんと自分の立場を表現している二人は、かっこいい、うらやましいなと思いました。

 私も喧嘩したいわけではないので、「投稿を削除しろ」なんていう人に「うるせえ」とは言うつもりはないのですが。

 余裕を持って「削除しません、なぜなら……」と説明していかなくては。

 また闘わなければいけないことが増えてしまいました、わかってはいるのですが、闘い続けなければいけないこの業界は、つらいことも多いです。

 と、サンバ業界でも肩身が狭くなる田口でした(汗)

一徹さんインタビュー(後編)【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第11回】

2018.07.13 Vol.Web Original

 エロメン・一徹さんのオンラインサロンについてのインタビュー、後編です。

 インタビュー当日は、オンラインサロンの方へ、ハングアウトでの通話テストを行っていました。

一徹さんインタビュー(前編)【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第10回】

2018.06.22 Vol.Web Original

 女性向けAVで活躍し、「キング・オブ・エロメン」の異名を持つ、一徹さん。

 現在はAV作品への出演のみならず、自身のレーベルを立ち上げるなど、活動の幅を広げています。

 今年の2月にはオンラインサロンをスタートさせ、会員限定SNSでの交流や、イベントの開催など精力的な活動を行っています。

 今日はそのオンラインサロンについて、お話をお伺いしました。

「風呂ダンサーズ」は青春【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第9回】

2018.06.08 Vol.Web Original

 もう二週間前になってしまいましたが、劇団Rexy第六回公演「風呂ダンサーズⅡ」が終了しました。

 劇団Rexyが昨年12月に上演した「風呂ダンサーズ」の続編です。

 ※前回公演の記事はこちら
 全力で全裸「風呂ダンサーズ」【脱こじらせへの道 第62回】
 http://www.tokyoheadline.com/385773/

「見せたい」男たちが「見えない」ように踊るダンスがとにかく凄い! 劇団Rexy『風呂ダンサーズ』
 http://www.tokyoheadline.com/385763/

 前作の「風呂ダンサーズ」は、主人公の父親を成仏させるために、一族の男たちが裸一貫で奮闘するという作品。

 本作は、それから二年後の風呂ダンサーズのメンバーたちを中心に、物語が展開します。

 新メンバーを加え精力的に活動する風呂ダンサーズのメンバーたちですが、営業で訪れた先で火事にあってしまいます。それをきっかけに、その火事に立ち会った消防団に入隊することに。厳しい訓練に疲弊し、怪我をしていくメンバーたち。新しいショーのネタも考えつかず、気持ちが分裂してしまうが……。

 ということで、前回のメンバーはもちろん新しいメンバーも加わり、総勢17人の男たちが一致団結して頑張る姿が描かれます。

ペアダンスという文化【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第8回】

2018.05.25 Vol.Web Original

 私事ですが、ゴールデンウィークを利用して、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに行ってきました。

 リオというとサンバカーニバルを思い浮かべる方が多いかと思いますが、ブラジルには特色ある音楽やダンスがたくさん存在し、サンバはその中の一部なんですね。

 ブラジルがある南半球は今は秋で過ごしやすく、カーニバルも2月に終了し、今回はさまざまなジャンルのブラジル音楽・ダンスを体験できた10日間でした。

 リオでは昼夜問わずダンスパーティーが開催されているのをよく目にします。

 ライブハウス、ダンススタジオなどで開催され、幅広い年齢の男女が参加し、音楽にあわせて踊ります。

 中にはプロやインストラクターのような人もいますが、ほとんどが一般の方です。

 日本でも社交ダンスやサルサなどのペアダンスをされている方はいると思いますが、日常的に楽しむ文化はありません。

 私自身もペアダンスのことはよく知らず、踊り方もわからず、リオでのこの風景を見てとても驚きました。

 ほかのジャンルを知らないのであくまでブラジルでのペアダンス文化のことになりますが、ペアダンスは基本的に男女で組み、男性がリードをとります。

 パーティーではほとんど切れ間なく曲が流れますが、男性から女性を誘い、一曲一緒に踊るのが一般的なようです。(楽しかったからもう一曲踊ろう、ということはありますが、どんなに相性が悪くても途中でやめることはないのだとか)

 自分自身の性格もあって、つい私から誘いたくなってしまうのですが、そういうことはあんまりスマートではないみたいです。

 リオの男性たちは女性に優しく、レディファースト。

 パーティーでも積極的に声をかけてくれますし、断ったらちゃんと聞いてくれますし、一緒に踊るときはレベルにあわせてリードしてくれます。

 ダンスだけでなく、電車でも席を譲ってくれたりするので、女性を尊重してくれる文化がとても素敵だなと思いました。

 そんなわけで、ペアダンスの経験がほとんどない私でも、リオの素敵な男性たちにリードされて、楽しく踊ることができました。

 ですが、最後の夜にパーティーで一緒に踊った男性が、ちょっとマナーの悪い方だったのです。

 誘われて踊り始めた私ですが、彼のリードがちょっと難しく、うまく踊れませんでした。

 すると、ため息をつかれたり舌打ちをされたり。

 確かに私が踊れないせいで楽しめなかったかもしれませんが、一曲、たかだか五分くらい、そんな態度を控えてくれてもいいではないですか。

 すっかり悲しくなってしまい、もう踊りたくなくなってしまいました。

 旅の疲れもあって、余計につらくなり、うっかり涙をこぼしてしまったのです。

 すると、スーツをびしっと着こなした男性が私の前に現れ、一曲誘ってくれたのです。

 ペアダンスのことを何も知らない私を上手にリードして、上手く踊れた気分になれるような、夢のような一曲でした。

 踊り終わると、感動してネガティブな気持ちはどこかへ吹き飛んでいきました。

 実は、私の異変を察した同行者が話を聞いてくれて、そのマナーの悪い男性のことをまわりに聞いてくれたのです。

 すると、その男性にダンスを指導しているという人がそのパーティーにいて、その人が一緒に踊ってくれたスーツの彼だったようです。

 教え子のフォローをしたいという気持ちと、こんなことでダンスを嫌いになってほしくないという思いから、一緒に踊ってくれたのだと思います。

 彼のおかげで私はペアダンスを嫌いにならずに、とてもいい思い出になりました。

 リオの男性が素敵!という話ではなく、どこの国(や文化)でも失礼もいれば素敵な人もいます。

 今回は私が踊った男性側のマナーの問題ですが、女性側も最後まで楽しく踊りきるというマナーがある、ということを一緒にいった友人から聞きました。

 男性のマナーが良いからといって、女性が横柄になっていいというわけではなく、もちろん逆もしかりで、互いに思いやり、尊重しあうことがペアダンスの良いところなのだと実感しました。

 もちろんペアダンスだけの話ではなく、普段のコミュニケーションでも同様ですね。

 日本ではペアダンスの文化が日常的でないから気づいていないだけで、誰かと何かを一緒にするというときに、自己都合や自己満足だけで行動すると相手を悲しませることになります。

 日本でペアダンスが盛んにならないのは、踊れないからというだけでなく、私たちがパートナーに対する思いやりを忘れているから、かもしれません。

 と、30時間かけてブラジルに行って号泣してまで、いつものオチに持っていってしまうのでした。

いくらお金があれば不安にならないのか【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第7回】

2018.05.11 Vol.Web Original

 先日、喫茶店にいたら、隣の席でパパ活の交渉が始まりました。

 お行儀が悪いと思いつつ盗み聞きをしてみると、女性はパパ活常連、男性は初心者といった具合でした。

 女性の言い分では、毎月の美容代に5万~6万円かかるのだが、自分が働いている給与ではそれが賄えないので、援助してくれる男性を探しているのだとか。肉体関係はもたないし、男性との出会いを求めているわけではないとも言っていました。

 一方の男性はどちらかというと心のつながりを求めているよう。ふたりの需要と供給は合致せず、最終的に女性が「パンを買ってほしい」と言って、ふたりでちょっとお高めなパン屋さんに向かっていきました。

 個人的には、毎月の美容代5万~6万円って高すぎでは?と思いますが、ネイルに美容院に化粧品に、手を出し始めたら終わりがないのでしょう。

 その美容代もパパ活の継続のために必要なんじゃないかとも思いますが、彼女にとっては美容にこだわることや、綺麗な自分にお金を使ってもらうことが何よりの楽しみなのかもしれません。

 そんな「楽しみのために使う予算」ってどのくらいなのでしょうか?今回はイベント予算について、アンケートをとってみました。

デート時間を「買う」【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第6回】

2018.04.27 Vol.Web Original

 前回ツーショットチェキの様子を紹介しましたが、それに関してTwitterでアンケートをとってみました。

ツーショットチェキはいかがですか?【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第5回】

2018.04.13 Vol.Web Original

 前回の記事で、欲求不満を感じたら、アイドルやエロメンのイベントに行くなんてどう?ということを書いてみました。

 というわけで今回は、GIRL’S CHで行っているイベントを紹介してみたいと思います。

 今回とりあげるイベントは、4月7日(土)に行われた、「風呂ダンサーズDVD販売記念イベント」。

 昨年12月に行われた劇団Rexyの第5回公演「風呂ダンサーズ」の公演DVDが4月12日に発売になり、それにあわせてのイベントでした。

 今回のイベントは、昼・夜の二部制でしたが、ありがたいことにどちらの回も多数のご応募をいただき、抽選に当たった方のみの参加となりました。

 イベント内容は、出演者の皆さんと一緒にDVDを鑑賞するというもの。出演者の皆さんや、演出の鄭光誠さんのトークを聞きながら、みんなで「風呂ダンサーズ」を鑑賞します。

 裏話を聞けたり、出演者とお客さんが一緒になって笑ったり感動したり、家でひとりでDVDを見るのとはまた違った味わいがあります。

 上映会後は、「風呂ダンサーズ」の内容にちなんでタオル一枚の格好でのトークショー。

 5月公演の「風呂ダンサーズⅡ」の冒頭の読み合わせをしたりして、トークショーは終了しました。

 ですが、イベントはこれでおしまいではありません。

 トークショーのあとは、ツーショットチェキのお時間。

 このチェキの時間を楽しみにしている方も少なくありません。

 なぜかというと、その理由は見てもらったほうが早いので、GIRL’S CHの動画にも出てくれている夏目哉大さんにツーショットチェキの撮影をお願いしてみました。

 その写真がこちら。

みんな欲求不満なんだ【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第4回】

2018.03.23 Vol.Web Original

 GIRL’S CHは動画販売をメインとしたサイトですが、それ以外でもさまざまなコンテンツがあります。

 オープン間もない頃から開設してきた「掲示板」には、ユーザーの皆様からのたくさんの書き込みが投稿されます。

 たとえばサイト上の誤表記やシステムエラーを指摘してくださったり、「こういう企画が見たい」というご要望をくださったり。

 私も「スタッフ田口」として、皆様のご意見に返答しています。

 そんな掲示板のスレッドのうちで、スタッフが入り込む余地がないほど、ユーザーの皆様同士で盛り上がっているスレッドがあります。

 タイトルは「欲求不満」。

 内容はタイトルの通り、欲求不満のストレスをぶちまけたり、悩みを相談したり。

 このスレッドを見ていると、多くの女性が「欲求不満」なんだなということを思い知らされます。

「欲求不満なのは自分だけなのだろうか?」という孤独感から解放されるだけでも、少しは悩みが楽になるものです。

 私も皆様の書き込みを見て、「ああ、モテたいと思っているのは私だけじゃないんだ!」と少し、いやかなり、うれしくなりました。

 ごくたまに、そんな女性と関係を持ちたがるような男性の書き込みがあったりしますが、見つけ次第削除しています。

 そして普段利用されている女性ユーザーの方々も、そういう書き込みを不快に感じられる方が多いようです。

 欲求不満=異性と出会いたい
 と想像される男性もいらっしゃるかと思いますが、このスレッドの書き込み内容を見ていると、そういうわけではないようなんですね。

 というのも、ここで言う「欲求」とは、単純に「性欲」だけを指すものではないからです。

 誰でもいいからセックスがしたい!なら、GIRL’S CHの掲示板に書き込むより他に方法があります。

 女性なら、その気になれば出会い系サイトやアプリで相手を見つけることもできますし。

 お金をかける余裕があれば、アダルトグッズを買って、自分ひとりでいつでも性欲の不満を解消できます。

 でも、そうしないで、掲示板に書き込んでいるのです。

 だって私たちは、性欲を解消したいのではなく、性欲を含んだ満たされなさを解消したいのですから。

「セックスの相手を探している」のではなく、「セックスの相手として望まれる自分を探している」というほうが、しっくりくるでしょうか。

 愛されたい、ちやほやされたい、認められたい。

 そんな、セックスするに至るまでの心の移ろいも一緒に求め、それを満たしたいと考えている。

 だから余計に、誰でもいいということはないのです。

 自分が好いた人に好かれたい、というような経緯も含めてのことなので。

 夫や彼氏や好きな人に「だけ」モテたいのです。

 極端な言い方をすれば、「パートナーに自分専用ホストになってほしい」のです。

 男性にとっては、「そんなこと言われても……」だと思います。

 わかります、男性のその気持ちもわかります。

 悲しいかな、互いの気持ちが高まらないと、欲求不満やセックスレスは解消されないですよね。こればっかりは、女性のワガママも大きいと思います。

 諦めて浮気や不倫をすれば……という向きもあると思いますが、それこそ特別扱いをお金で買いに行きませんか?

 その方法が、女性向け風俗であったり、ホストだったりするのかな、と。

 ちなみに、特別扱いの方法のひとつとして、アイドルやエロメンのイベントに行く、というのもひとつの手です。

 エロメンイベントでは、いつも動画で見ている男の子と至近距離でチェキ撮影ができます。

 男の子にぎゅっと抱きしめられながらチェキ撮影ができるんです。

 でも、あくまでチェキ撮影のために抱きしめてもらってるんで。

 これはいい言い訳になると思うんですが、いかがでしょう?

今までで一番ひどいセクハラ【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第3回】

2018.03.09 Vol.Web Original

 …とタイトルで謳ってみてはいいけれど、全く思いつきません。

 そこまでセクハラで傷ついた経験がないですし、都合の悪いことはすぐに忘れたい性格なので覚えていないだけかもしれませんが。

 むしろ「お前こそ生きているだけでまわりに対してセクハラしている」と思われているんじゃないかという気がします。

 そんなわけで私には、忘れられないほど嫌なセクハラってないんですね。

 でも自分がなんとも思っていないだけで、まわりから見たらすごく嫌になったということがあったようなんです。

 先日、とある年上男性から、「女の価値は男の数で決まるんだからもっと遊べ!」というようなことを言われました。

 その人のキャラクター的に、そういうことはよく言うし、今まで私も私の周りの人も特にそれがひっかかるということはなく、だからそのときも私は「そうですか~勉強になります」と軽く流したんです。

 その人と私の間に構築した人間関係もあるので、私としても別に嫌な思いはしなかったのですが。

 ところが、その場に居合わせた女性が後から、「あんなセクハラ発言は許せない」と言っていたのです。

 私がそういった発言に慣れ過ぎてしまって、セクハラに鈍感になっていたのかもしれません。

 そういう発言が嫌だと思う人がいるということを忘れていました。

 結果的に彼女に不快な思いをさせてしまい、申し訳ないなと思いました。

 そして、彼女が嫌だったのはそのセクハラ発言だけではありませんでした。

 女性向けAVのサイトの運営をしながら、その発言を否定しなかった私へも怒りの感情を持ったそうです。

 そうした発言を問題視しないで流すことは、同じ場にいる女性もそのセクハラ発言を受け入れたことになると思われる可能性があると、彼女は考えたのです。

 こういう仕事をしているからこそ、セクハラに対して啓蒙していく言動をとるべきではないか、と彼女は激怒していました。

 私は性を扱った業界に10年以上身を置いているので、セクハラ的なことを言われる機会、される機会というのは、人の何十倍もありました。

 怒ったことも悔しくなったことも泣いたことも、何十回何百回とあります。

 人と比べられるものではありませんが、それでもセクハラについて考える機会は、とてつもなく多かったと思います。

 だからね、先のセクハラ発言に対して、なんとも思ってないわけじゃないんですよ。

 そのとき言われたことだって、全く心の響かなかったわけじゃないんですよ。

 私なりにこの十年考えた結果、「こんなくだらないセクハラをいちいち正すのは意味がない」から、この場は受け流したんですよ。

 多くのセクハラの根本にあるのは、「無神経な男性」と「神経質すぎる女性」だと私は思っています。

 言動で無神経に接してくる男性、皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか。

「今日メイク濃いんじゃない?デートでもあるの?」みたいなこととか、あとはボディタッチとか、すぐイメージできますよね。

 神経質すぎる女性、はどうでしょうか?

 男性に卑下された、馬鹿にされた、と過敏に感じて怒るとか。

 いつか「かわいいね」「キレイだね」という言葉すらセクハラにされてしまって、人を褒めることもできなくなるんじゃないか、という勢いすら感じます。

 前述した彼女も、この「神経質すぎる女性」に当てはまると私は思っています。

 私が言いたいのは。

 私たちが本当に闘わなければいけないのは、そういう目の前のセクハラ発言なんかじゃないんです。

「無神経すぎる男性」や「神経質すぎる女性」にいちいち振り回されてしまう、自信のなさだと思います。

こじれない女になるために?【脱こじらせへの道 第64回(最終回)】

2018.01.26 Vol.web Original

 さて最終回です。

 2年半を経て、なんとなく「こじらせ」から脱却する方法は見つかったかな、という気がしませんか?

 頭でっかちな思いこみを捨てること。

 同性だろうと異性だろうと、お互いの違いを理解して認めること。

 なんとなくそうやってすごしていれば、「こじらせ」とか、面倒くさい悩みとかからは解放されるような気がします。

 ただ、ありのままの自分を受け入れて、自分を肯定することって、無欲とは違うんですよね。

「もっと周りから好かれたい!」

「コンプレックスをなくしたい!」

「自分のことをわかってほしい!」

 どんなに頭では理解しているつもりでも、自分の気持ちや感情が、現実以上のことを望むことがあります。
 

 また、違いを認めても、認めた上でやっぱり違和感を拭い去れないときがあります。

 少なくとも、私はそうですが、皆さんはいかがでしょう。

 たとえば、みんなで一緒に出かけていても、「自分はここにいてはいけないんじゃないか」という気持ちに苛まれることってありませんか?
 
 そういう、いわゆる「場違い感」というのが、私にはずっとついてまわっています。
 
 この「場違い感」のようなものが、私にとっての一番の「こじらせ」なんじゃないかと思います。

 どんなに自己肯定したところで、自分以外のすべての人が自分を否定しているんじゃないかとか。

 そういう思いに一生取り付かれたまま、きっと一生私は「こじらせ」から抜けられないまま、死んでいくのだと思います。

 仮に、場違い感に自分の感情を支配されてしまうとしたら、私にとってはやはり「他者からの肯定」(勘違いも含めて)が足りていないのかもしれません。

「愛されたい」「ちやほやされたい」「モテたい」。

 そういう、承認欲求を得たいという思いが自分の奥底にはあって、それを含めて自己肯定をすることが、こじれていない本当の自分なのでは。

 私は結局この「もっと愛されたい!」という自分の気持ちを肯定することにしました。

 果たしてそれが、こじらせからの脱却なのか、こじらせとの共生なのかはわかりません。

 ただ、ありのままの自分を肯定できたからこそ、ぶれない自分のまま、他者に肯定されることに恐怖がなくなったように思います。

 というわけで、来月からは「愛されたい」について考えるコラムをはじめます。

 皆様、引き続き、よろしくお願いします。

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