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チャリティプロレスで藤原組長が大暴れ。集まった30個のランドセルはミャンマーの子供たちへ寄贈【ZERO1】

2023.09.17 Vol.Web Original

 プロレスリングZERO1が9月16日、千葉・芝山町の複合型場外発売施設「サテライト成田」でチャリティプロレス「いじめ撲滅プロレス~ミャンマーの子供たちにランドセルを!!」を開催した。イベントには560人(主催者発表)の観衆が集まり、大会は大いに盛り上がった。

 同団体はこれまで、被災地でのボランティア活動や、いじめ撲滅を訴えてプロレス活動を行うなど社会貢献に大いに寄与してきた。今大会はミャンマーの貧困家庭の子供たちにランドセルを届けるべく、各家庭で不要になったランドセルを来場者から提供してもらうべく開催。集まったランドセルはミャンマーの子供たちに寄贈し、子供たちが勉強する機会にしたいとのことで発案された。

猪木さんの一周忌法要で藤原喜明が「自分もすぐいきますので、待っていてください」としんみり

2023.09.12 Vol.Web Original

 昨年10月に亡くなったアントニオ猪木さんの一周忌法要が9月12日、猪木家のお墓がある神奈川県横浜市の曹洞宗大本山總持寺でしめやかに行われた。

 法要には実弟の猪木啓介氏ら親族、新日本プロレス顧問の坂口征二氏、力道山夫人の田中敬子さん、棚橋弘至(新日本プロレス)、潮崎豪(プロレスリング・ノア)、宮原健斗(全日本プロレス)、女子プロレスラーのSareeeら団体の垣根を越えて多くのレスラーが列席した。

 法要後に猪木さんの弟子の藤原喜明は「猪木さんが亡くなって1年が経つんだなと。亡くなってから早いという、そういうことですね」と語った。

 この日は墓前で猪木さんのブロンズ像除幕式が行われたのだが、藤原は「ずっと本物を見ていたんで、似ているんだけどちょっと違うかなと。俺だったらここはこういうふうに作るなというところはあったが、出来としては上出来じゃないかと。全体的には雰囲気は出ていたが細かいところ。もう少し絶壁だったとか、もう少しアゴが出ていたとか。あともう少し首が太かったなとか」と長く付き人を務めた藤原ならではの感想を口にした。

50周年の藤原喜明「“明日辞めよう”と思っているうちにずるずる50年経ってしまったという感じ」【ストロングスタイルプロレス】

2022.12.09 Vol.Web Original

「初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.20」(12月8日、東京・後楽園ホール)で藤原喜明(藤原組)のデビュー50周年と石川雄規(フリー)のデビュー30周年のダブルの記念試合が行われた。藤原は11月23日に行われた大阪大会でも記念試合が行われ、今回は第2弾。

 この日、藤原は関本大介(大日本プロレス)、日高郁人(ショーンキャプチャー)と、石川はスーパー・タイガー(SSPW)、船木誠勝(フリー)とそれぞれトリオを組んだ。船木は1992年に藤原組を離脱しパンクラスを設立、石川も1995年に藤原組を離れバトラーツを設立、日高は1996年にバトラーツでプロデビューし、その翌年には「弟子の団体だから」と藤原が参戦した際にシングルマッチで戦っている。

12・8後楽園で真霜拳號に関根“シュレック”秀樹が挑戦。女子戦線は軍団抗争激化へ【ストロングスタイルプロレス】

2022.11.21 Vol.Web Original

11・23大阪ではスーパー・タイガーvs池本誠知、藤原喜明デビュー50周年記念試合

 初代タイガーマスクの佐山サトルが主宰を務めるストロングスタイルプロレスが11月23日に大阪・コレガスタジオで「初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.19 [闘宝伝承2022-2nd]」を開催する。

 メインイベントではスーパー・タイガー(ストロングスタイルプロレス)が池本誠知(総合格闘技スタジオSTYLE)と対戦する。

 池本はかつて総合格闘家として修斗やDEEPで活躍し、PRIDE、DREAMにも出場経験のあるファイター。DEEPではウェルター級王座も獲得している。現在は戦いの場をリングに移しプロレスラーとして戦い続けている。スーパー・タイガーとはスタイル的にも“手が合う”ことから、佐山が言う「ストロングスタイルを見せる」試合が期待されている。

 セミファイナルでは「藤原喜明デビュー50周年記念試合タッグマッチ」として、藤原喜明(プロフェッショナルレスリング藤原組)&アレクサンダー大塚(AO/DC)vs 船木誠勝(フリー)&冨宅飛駈(パンクラスMISSION)が行われる。

 船木と冨家は藤原組を離脱しパンクラスを設立、大塚は藤原組でデビュー後、格闘探偵団バトラーツ設立時に藤原組を離れるというさまざまな因縁があったのだが、師匠のの50周年記念試合にかつての弟子たちが駆けつける格好となった。

藤原敏男が来場した闘病中の佐山サトルに「年末に2人で暴れようぜ!」とエール【帰ってきた藤原祭】

2022.04.28 Vol.Web Original

 外国人として初めてムエタイの頂点・ラジャダムナン王者となり「キックの荒鷲」とも「キックの神様」とも呼ばれる元キックボクサーの藤原敏男氏を主役とするイベント「藤原祭」が約8年ぶりに復活。「CHAKURIKI 15 帰ってきた藤原祭」が4月27日、東京・後楽園ホールで開催された。

 この「藤原祭」は2003年12月7日に藤原氏のキックボクシング35周年を記念して第1回を全日本キック連盟の主催により開催。2010年から2014年ははM-1 MCが主催。今回はドージョーチャクリキと藤原祭実行委員会によって開催された。

 藤原氏は「格闘技スペシャルエキシビション6人タッグマッチ」に出場。藤原氏はプロレスラーの藤原喜明、キックボクサーの藤原国崇と組んでキックボクサーの藤原あらし、藤原康平、プロレスラーの藤原秀旺と対戦。出場選手全員が「藤原」という史上初のマッチメイクとなった。

長州、天龍、武藤、小橋らレジェンドレスラーたちによる一夜限りのゲーム対決。今しかないぞ! 見るなら、今しかないぞ!

2021.02.26 Vol.Web Original

レジェンドレスラーたちが、20時台に帰ってくる――。
「世界がコロナウィルスと戦っている今こそ、レジェンドレスラーたちのパワーが必要なとき……その時が来た!」
田中ケロリングアナウンサーの威風堂々とした口上が響き渡る。
2⽉27⽇、衛星波のBSフジで特別編 脳ベルプロレスリング』(19時〜20時55分)が放送される。

アントニオ猪木が「喜寿を祝う会」で長州に闘魂ビンタ

2020.02.21 Vol.Web Original

古舘伊知郎氏の口上で仁王像をぶち破り登場

 2月20日に77歳の誕生日を迎えたアントニオ猪木の「喜寿を祝う会」が同日、東京都内のホテルで開催された。

 オープニングではかつて金曜8時の「ワールドプロレスリング」で実況を務めたフリーアナウンサー古舘伊知郎氏がマイクを握り、猪木の幼少期から力道山に見いだされてのプロレス入りのいきさつ、新日本プロレスでの活躍。そしてプロレスの枠を超えて国会議員としても活躍した猪木の半生をかつての名調子で語り上げ、猪木を呼び込むと猪木は仁王像が描かれた入り口をぶち破って登場。そして第一声はやはり「元気ですかー」。

 この仁王像を破っての登場は猪木の師匠の力道山が眠る池上本門寺の本堂の両脇にある仁王像が猪木をモデルに作られたことにちなんでのこと。

アントニオ猪木「生前葬」で『千の風になって』をフルコーラス歌いきる

2017.10.22 Vol.Web Original

藤原は般若心経を読経
 元プロレスラーで参議院議員のアントニオ猪木の「生前葬」を中心とした格闘技イベント「INOKI ISM.2~アントニオ猪木『生前葬』~」が10月21日、東京・両国国技館で行われた。

「生前葬」は「カール・ゴッチ杯2017」ら7試合の後に開催。メーンイベント終了後、会場は一時暗転。照明がつくと、リングの中央に白い棺。司会の生島ヒロシの進行で生前葬が執り行われた。

 まずは猪木と縁の深い、スタン・ハンセン、藤波辰爾、藤原喜明がリングイン。

 ハンセンは「素晴らしいライバルで素晴らしいファイター。まさにレジェンド」、藤波は「ビックリです。猪木さんにはずっとお世話になった」などと、それぞれ猪木との思い出を語る。藤原に至っては般若心経を読経。「えっ? 本当に亡くなったんじゃないんですか?」といつもの藤原節。

猪木氏が「ゴッチ没後10周年 アリ没後1周年記念大会『ISM』」をプロデュース

2017.05.25 Vol.691

 アントニオ猪木参議院議員が大会プロデューサーを務める「カール・ゴッチ没後10周年 モハメド・アリ没後1周年記念大会『ISM』」(7月24日、東京・後楽園ホール)の発表会見が25日、都内で行われた。

 この大会は発起人の一人でもある西村修が2007年7月28日に亡くなった“プロレスの神様”カール・ゴッチ氏の日本でのお墓の建立について猪木氏に相談したことがきっかけとなって開催されることとなった。

 猪木氏が冒頭「西村さんが“ゴッチさんのお墓を”という難しい話を持って来た。“猪木さんが先頭に立ってくれないと”と。“またプロレスの旗振りをするのかよ?”と思ったんですが、まあそれが役割かなと思っております」と大会プロデューサーを務めることとなった経緯を説明。そして「猪木イズムという言葉もありますが、そのイズムを伝統的に引き継いでもらって、プロレスの凄み、あるいは格闘技の凄みというものを世界に発信できることになればいいなと思っております」と大会名が「ISM」となったことへの思いを語った。

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