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榊原CEOが訃報が伝えられた曙さんを偲ぶ「旗揚げの時に海のものとも山のものとも分からないRIZINに気持ち良く参戦してくれた」【RIZIN】

2024.04.11 Vol.Web Original

 RIZINの榊原信行CEOが4月11日、訃報が伝えられた元横綱でK-1、総合格闘技、プロレスラーとしても活躍した曙太郎さん(享年54歳)を偲んだ。

 この日は「RIZIN.46」(4月29日、東京・有明アリーナ)に関する会見を行ったのだが、榊原氏は冒頭「曙太郎選手がお亡くなりになった。日本の格闘技界にとってとても大きな貢献を果たしてくれた曙さん。そして2015年の旗揚げ戦ではボブ・サップとの再戦をシュートボクシングルールで戦ってくれたことを、今でも覚えている。旗揚げ戦に曙選手に出てもらえたことを光栄に思っているし、誇りに思っています。この場を借りて心からご冥福をお祈りしたい。残された我々、日本の格闘技界はさらに進化を続けられるよう精進したいと思っている」などと語った。

 会見後の取材でも「ショック。旗揚げの時に、海のものとも山のものとも分からないRIZINに気持ち良く参戦してくれて“大晦日といえば曙”ということをRIZINでも示してくれた。病気を患われた後、大砂嵐の参戦の時もすごく親身になって心配してくれていた。体調さえ回復したら大砂嵐の試合は車いすになってでも見に行きたいというくらい格闘技に対する愛はあった。僕らはPRIDEの時代でいうと『ハッスル』ですごくお世話になっているので、その時のことが走馬灯のようによみがえるというか思い出される。密葬と書かれているが、手を合わせに行きたい」などと2015年12月31日の「RIZIN FIGHING WORLD GRAND-PRIX 2015 IZAの舞」で行われたボブ・サップ戦やプロレスラーとしてリングに上がっていたハッスル時代の思い出などを振り返った。

 また「非常におおらかな人だった。交渉の中でもオープンマインドで、自分のところに来る人をウエルカムで受け入れてくれる方。だからいろいろなチャレンジができたのだと思う。相撲界という格式とかしきたりとか歴史がある世界の中で横綱まで行きながらも、K-1とボブ・サップとやるという決断をした時も、当然逆風がたくさんあったと思う。すごい決断だったと思う。本当に偉そうにするところもないし、常に明るく前向きな人だった。元気も勇気ももらって一緒に楽しく仕事ができた」などとその人柄を明かした。

2022年度新人王MVPのCHAN-龍選手が21歳で死去。日本修斗協会が正式発表

2023.08.01 Vol.Web Original

 昨年度の修斗フェザー級新人王で新人王MVPに選出されたCHAN-龍選手(MMA Zジム)が7月に亡くなっていたことが8月1日、正式に発表された。21歳だった。

 この日、日本修斗協会が「CHAN-龍選手についてご報告」という形でCHAN-龍選手の訃報を発表した。

 CHAN-龍選手は7月23日に開催されたプロフェッショナル修斗公式戦後楽園ホール大会へ出場予定だったが、大会前日に行われた計量会場に姿を見せず、連絡が途絶えていたため地元・徳島で捜索が行われていた。大会終了後にCHAN-龍選手が亡くなっていたことが所属ジムの安芸佳孝代表より報告があったという。

 SNS等でCHAN-龍選手が亡くなったという話が流れていたのだが、親族からの強い意向があり、大会や選手に与える影響を考慮し発表は控え、この日の発表になった。

 CHAN-龍選手は2020年1月19日に大谷一誠を相手にデビューを果たすと6連勝を飾り、2022年度のフェザー級新人王に輝き、「2022年度 新人王三賞」では新人王MVPにも選出された。

プロサーファーの小川直久さんが死去 パリ五輪特定強化選手

2023.05.24 Vol.Web Original

 プロサーファーの小川直久さんが、5月23日にがんで亡くなったことがわかった。51歳だった。24日、所属するLDH JAPANが発表した。

 小川さんは、数々のタイトルを獲得し、日本のサーフィン界に多大なる影響を与え続けたプロサーファー。2020年に大腸がんが発覚したが治療を乗り越えて寛解。2022年4月には、2024年のオリンピック・パラリンピック競技大会(パリ大会)に向けた特定強化選手に選ばれ、出場を目指して意気込んでいたという。

 同社はこの日、ウェブサイトに「小川直久を応援してくださっている皆様にご報告」のタイトルでメッセージを掲載し発表。そのなかで、小川さんの思いを叶えるためにサポートを続けていたとし、「LDH一同大きな悲しみの中に故人を追悼しております」と綴った。

 葬儀は故人と家族の意向により親族で行い、改めてお別れの会を開催する予定だという。

元付き人の髙田延彦が「猪木さんが逝ったんだ。まだなんとも言えぬ気持ち」、長州力は「私の中での昭和のプロレス時代はこれで終わりたい」

2022.10.01 Vol.Web Original

 元プロレスラーで元参議院議員のアントニオ猪木さんが10月1日に亡くなった。猪木さんの訃報を受け、多くの弟子や関係者がSNSなどで追悼の声を寄せた。

 元プロレスラーで元総合格闘家の髙田延彦さんは「我がスーパーヒーロー、アントニオ猪木が亡くなったとの一報が入った。ついにこの日が来たか、猪木さんが逝ったんだ。まだなんとも言えぬ気持ち。心よりご冥福をお祈りします」と自らのSNSでコメントを出した。髙田さんは猪木さんに憧れて1980年に新日本プロレスに入門。猪木さんの付き人も務めた。

 元プロレスラーの長州力さんは猪木さんとの2ショットの写真とともに「やっと解放されましたね。リングを降りても貴方は 闘魂アントニオ猪木でした まさに闘魂そのものでした。猪木さんどうか安らかにお休みになって下さい。私の中での昭和のプロレス時代はこれで終わりたいと思いますが、まだ藤波辰爾選手が頑張ってます 最後まで見届けます。合掌」とSNSでコメント。

 元プロレスラーの前田日明さんは2ショットの写真とともに「慟哭 いつも黙って背中で語り行動する人でした。 猪木寛至と同時代を過ごせた事が幸運でした。 とんでもなくお世話になりました。 有難う御座いました。 長い間お疲れ様でございました。 御冥福を衷心よりお祈り申し上げます」と投稿。

 新日本プロレスで長くリングアナウンサーを務めた田中ケロさんは「言葉にならない・・・。まだご一緒にやりたい事あったのに・・。会長、お疲れ様でした」とショックの大きさをうかがわせた。

名作絵本『スノーマン』『風が吹くとき』著者、レイモンド・ブリッグズ氏死去

2022.08.11 Vol.Web Original

 絵本『スノーマン(The Snowman)』『風が吹くとき(When the Wind Blows)』で知られるイギリスのイラストレーターで絵本作家のレイモンド・ブリッグズ氏が9日、死去したことが明らかになった。88歳。英出版社のペンギン・ランダムハウス(Penguin Random House)が10日に発表した。

 1934年、ロンドン・ウィンブルドン生まれ。大学や美術学校で絵画を学んでからイラストレーターとなり、その後、児童書や漫画などに活動の幅を広げた。

 1973年『さむがりやのサンタ(Father Christmas)』で、最も優れた絵本作家に贈られる英ケイト・グリーナウェイ賞を受賞。少年が作った雪だるまに命が宿る代表作『スノーマン』(1978年)は、累計発行部数が550万部を超える世界的ベストセラーに。82年にはアニメが製作され、第55回アカデミー賞の短編アニメ賞にもノミネートされた。

 老夫婦に忍び寄る核戦争の恐怖を描いた『風が吹くとき』(1982年)は86年にアニメ映画となり、日本語版の監督は故・大島渚氏が務めた。自身の両親の人生を描いたグラフィックノベル『エセルとアーネスト(Ethel and Ernest)』(1998年)も2016年にアニメ映画化され、日本公開の際は岩波ホール初の2Dアニメとして上映されて話題となった。

安倍晋三元首相が奈良市内で撃たれ死去

2022.07.08 Vol.Web Original

 安倍晋三元首相が7月8日、死去した。67歳だった。安倍氏はこの日、奈良県奈良市の近鉄大和西大寺駅付近で参議院選挙に自民党から立候補した佐藤啓氏の応援演説を行っていた際に、銃撃された。病院に搬送されたものの、息を引き取った。

 警察は殺人未遂の現行犯で奈良県在住の山上徹也容疑者(41)を逮捕。同容疑者は銃撃後、逃げることなくその場で身柄を確保されたという。

 安倍氏は1991年に急死した元外務大臣の父・安倍晋太郎氏の地盤を引き継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区から出馬し初当選。2000年の第2次森内閣で内閣官房副長官に就任。続く第1次小泉内閣でも再任した。2003年には小泉氏によって自民党の幹事長に抜擢される。2005年には第3次小泉改造内閣で内閣官房長官として初入閣した。

 小泉首相の任期満了に伴い2006年9月に行われた自民党総裁選に出馬し麻生太郎氏と谷垣禎一氏を破って総裁に就任。その後の臨時国会で内閣総理大臣に指名された。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣だった。

FANTASTICS 中尾翔太さん死去 3月から胃がん治療のため活動を休止

2018.07.08 Vol.Web Original

 闘病中だった「FANTASTICS」のパフォーマー中尾翔太さんが6日、亡くなったことが分かった。22歳だった。

 8日、グループが所属するLDH JAPANは、公式ウェブサイトで「FANTASTICS 中尾翔太を応援してくださる皆様へのお知らせ」を公開。その中で「今年3月に活動の一時休止を公表して以降、病気治療に専念しご家族のご看病のもと、懸命に病と闘ってきましたが、7月6日、誠に残念ながら永眠致しました」と報告した。

 中尾さんは、昨年末に体調不良を覚え、今年3月には胃がんを公表。治療のために活動を一時停止していた。「絶対に勝ちます! 待っていてください!」と力強いコメントを発表していた。

 EXILE HIRO、「FANTASTICS」のメンバーは中尾さんの早すぎる死を悼み、LDH JAPANの公式ウェブサイトにコメントを寄せている。

 葬儀は、親族、LDH所属メンバー、スタッフ関係者で行う。後日、お別れの会を行う予定。

 

高倉健さん逝く、男の美学貫き笑顔で天国へ

2014.11.21 Vol.631

 日本を代表する名優、高倉健(たかくら・けん、本名・小田剛一=おだ・ごういち)さんが10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため都内の病院で死去した。83歳だった。18日に所属事務所が発表した。

 同事務所によると、次回作の準備中に体調を崩して入院。治療を続けたが、容体が急変し、病院スタッフらに看取られ、息を引き取った。事務所が発表した書面によると「生ききった安らかな笑顔でございました」。葬儀は故人の遺志に従い、近親者で執り行われた。

 次回作は、遺作となった映画『あなたへ』(2012)のスタッフで作る親子の物語だった。脚本は固まっており、降旗康男監督で来春撮影予定だった。最後の仕事も、8月に撮影された健康食品通販『健康家族』のCMで、この後に闘病生活に入ったようだ。

 所属事務所の書面につづられた「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」の言葉は、比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉氏(故人)から贈られたもので、健さんの座右の銘だった。お別れの会は故人の遺志で行わない。同事務所は「派手なことが嫌いなので、本人は静かに逝きたいと…」と説明。最後まで“忍ぶ”美学は健さんらしかった。

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