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「低学歴国」日本がやっと話題になったが…【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第15回】

2022.05.09 Vol.web Original

 

 今年のゴールデンウィーク(GW)は3年ぶりに「日常」が戻ってきたようでした。もちろん海外旅行はまだ難しい。景気後退と物価高で財布の紐はそう緩められない--いわゆる「安・近・短」志向であるものの、それでも行楽地や都心部で人出は増えました。位置情報とビッグデータで人出の量をかなり正確に測れるようになりましたが、連休初日は東京駅や大阪駅の人流は4割増だったようです。

 GW真っ只中の2日、日本経済新聞で『「低学歴国」ニッポン 革新先導へ博士生かせ』 という記事が掲載されました。見出しは実に刺激的ですが、「成長に必要な人材の資質が変わったのに、改革を怠るうちに世界との差は開いた」と指摘した上で、我が国の博士号取得者数の低迷ぶりに警鐘を鳴らし、この30年で論文数は90年代の世界3位から2018年は10位に後退。産業競争力が落ちた要因の一つとして、人材高度化を怠ってきた日本の問題点をあぶりだしました。

 私などは十数年、こうした問題を指摘し続けてきました。しかし世の中ではメディアも含めてほとんど理解されてきませんでした。その背景として、日経も指摘するように、いまだ日本が「大学教育が普及し、教育水準が高い」という固定観念があるのでしょう。確かに2人に1人は大学には進学している。実際、国民における学部卒の比率は世界でもまだトップクラスです。

 私も日経も指摘しているのは学部を出た後もさらに学んで、産業動向の変化、科学の複雑化・高度化に対応できるようにしてこなかったという点です。学部卒が多い日本ですが、25歳以上の大学入学者は先進国では最低レベルのままです。いまのご時世、10年もすれば産業動向は激変します。それなのに必要な学び直しをするように社会が適合していないのです。文系も理系も関係ありません。文系だって統計やデータサイエンスを学ぶ必要が出ているわけです。

 海外に行くとわかりますが、官民問わずその国を代表する組織のトップは大学院卒が主流です。文系でもMBAを取っています。しかし日本は工業化時代の名残で実務主義のOJTによる人材育成が主流。学部卒で入社して20~30年かけて出世競争に勝ち上がる構造です。日本企業の時価総額トップ10の会社で社長が院卒なのは1人だけというのが象徴的な話です。

 かくいう私自身も学部卒なのは役所のキャリアパスも同様だったからです。私の20代、30代は実務経験だけでもやり方次第で知見を磨ける時代でしたが、国際会議で相手方のトップと渡り合ううちに、専門知識から哲学などの教養までその幅広い見識に何度も手強さを感じてきました。

 大手メディアの日経がようやく提起してくれた「低学歴」問題。ただSNSではその言葉尻を捉えて反発する人のほうが多かったようで、今から世界の時流に追いついていく難しさを痛切に感じます。(東大・慶応大教授)

日本のサッカー界、「令和の社会革命」は何か?【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第12回】

2021.12.13 Vol.748

 今年は日本サッカー協会が100周年。1921年(大正10年)大日本蹴球協会が創立されました。

 当時の世相は、第一次世界大戦終結から3年後で戦後恐慌に突入。原敬首相が暗殺されるなど社会が混迷している中での船出でしたが、インターハイを開催し、日本代表が初の国際Aマッチとなる極東選手権大会に出場。8年後にはFIFAにも加盟するなど、まさに日本サッカー界の黎明を感じさせる出来事が並びます。

 そして、先月下旬、私、100周年に際して、功労表彰を受賞いたしました。競技関係者だけでなくさまざまな形で普及・発展に貢献した個人や団体に贈られるもので身に余る光栄です。中高とサッカー少年だった私が通産省勤務時代、Jリーグの立ち上げをお手伝い。以来30年近く、いろいろな出来事がありました。

 2002ワールドカップの情報通信委員を務めたり、2022ワールドカップの招致副委員長としてカタールに惜敗したり、U20女子ワールドカップを招致に成功したり……7年前からは協会理事として関わっていますが、私自身が今もなおサッカー界の発展のため、情熱や知見を注ぎ込むことができたのは、スポーツ界の中でもいち早く「社会をよりよく変える」信念を打ち出し、今もなお魅了され続けているからです。

 サッカー協会の定款第3条では「この法人は、日本サッカー界を統括し代表する団体として、サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献することを目的とする」と規定しています。この「サッカーを通じて」という文言が肝。つまり、サッカーを振興するだけではなく、「スポーツ文化の創造」「人々の心身の健全な発達」「社会の発展」が目的であることを明確にうたっています。

 競技関係者、クラブだけでなく地域の住民がサッカーを「文化資本」「社会関係資本」にまで発展させ、子どもたちはもちろん、老若男女、障害のある人もスポーツを楽しむ文化が広がり、地域社会・経済を活性化しました。川淵三郎さんがかつて「単にサッカーを強くするのではなく、社会的革命をもたらす」と語られていた通りになったのです。

 歴史の荒波を乗り越えてきたサッカー界ですが、コロナで他のプロスポーツと同じく未曾有の苦境に陥っています。東日本大震災後のなでしこ世界一をはじめ、国民的感動をもたらしたサッカーの力を、どう持続・発展させていくか。協会100周年を機に全てのサッカー界関係者が、その社会的・歴史的役割を考え直してみることが大事ではないでしょうか。

(東大、慶應大教授)

衆院選で考える「賢い政府」【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第11回】

2021.11.08 Vol.747

 

 先の衆院選は自民党が単独過半数を確保したものの、解散前より議席を17減らし261。対する野党第一党の立憲民主党にはチャンスのはずでしたが、こちらも109から96に減らすという「痛み分け」でした。間隙を突くように維新が4倍近い41に躍進。ホームグラウンドの大阪では小選挙区で自民党候補に全勝、全国各地にも比例で一定数の当選者を出しました。

 今回の総選挙、有権者が自民党にも野党にも一定の変化を求めたと言えるでしょう。無党派層が特に多い東京では維新が比例で85万票を獲得しました。これは2年前の参院選東京選挙区では54万票、昨年の都知事選では61万票でしたから上積みです。夏の都議選で底力を見せた小池知事、都民ファーストの会が今回参戦していれば、維新も順調ではなかったでしょうが、本質的な話は、「第三極」に支持が集まるということは、それだけ老舗の政党に対してドライに見ている方が多く、新しい受け皿を渇望していると言えるでしょう。

 さて選挙が終われば政治は法律を作り、行政を動かしていくことになります。有権者の、これまでの政治に対する不満は、ある意味、行政のあり方にも変化を求めている側面があるでしょう。特にコロナで国も地方自治体も未曾有の財政出動をしたあとで、経済は傷ついて税収の回復には時間がかかりますし、この冬の第6波にもどう備えるか、しかし経済は再生しなければならないという、トレードオフ、コンフリクトをこれまでになく詰め込んだ状況に直面しています。

 そもそもコロナになる前から日本は30年間、経済が成長しませんでした。行政府、国会と立場を変えながらも現場で苦闘し続けたつもりですが、政策づくりが本当に難しくなりました。政治や行政の現場ではこれまでにない発想力が必要だと痛感します。そしてその発想力の源となるのが、昔ながらの凝り固まった制度や経験則に囚われないこと、幅広い視野です。

 このほど『ワイズガバメント 日本の政治過程と行財政システム』(中央経済社)という新刊を研究者や実務経験者の同志と上梓しました。元会計検査院長の重松博之先生、そして経営学の大家、野中郁次郎先生には力強くお導きいただきました。野中先生といえば不朽の名著『失敗の本質』で経営組織論の観点から旧日本軍の敗戦した要因を分析したことが、1980年代当時は実に斬新でした。そして今回は令和の時代の「賢い政府」はどうあるべきか。政治・行政システムの問題点や動かし方を、野中先生をはじめ、皆さまと論じています。やや難解かもしれませんが、日々の政局の底流にある本質的な問題を見通す視点を養うには、おすすめです。

 

五輪パラ閉幕:コロナ後のスポーツの価値【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第9回】

2021.09.13 Vol.745

 東京オリンピック・パラリンピックが全日程を終了しました。1年延期した末に、開催の是非をめぐって世論が二分し、無観客開催という異例づくめとなりましたが、懸念されたテロや大規模クラスターなどの緊急事態はなく、「東京2020」をなんとかやり切ることができたこと、招致段階から関わってきた全ての関係者に心より感謝を申し上げます。本当にお疲れ様でした。

 私自身が政治家時代、特に心血を注いだ課題がオリパラでした。まだ東京での開催をめざしている段階でしたが、2009年から文部科学副大臣に着任してからは正式に招致担当となり、難題を一つ一つクリアしていきました。国立競技場の建て替えは、巨額の費用がネックでしたが、toto法の改正でサッカーくじの当選金を引き上げ、一定の財源確保に努力するなどして財務省の理解を得る流れを作り、明治神宮や地域住民などへの周知理解も行いました。

 オリパラを開催したかった理由はたくさんありますが、スポーツに限って言うならば、21世紀の時代に合わせたスポーツの価値を再定義し、広く日本社会の中でその社会的役割の重要性を意識するように根付かせるためのオリパラを「起爆剤」にする思いでした。

 当時スポーツ庁はまだなく、文科省が所管するスポーツ行政は私が担当でした。その際、こだわったのが、スポーツ振興法を半世紀ぶりに改訂して制定したスポーツ基本法です。高齢化社会を見据え、国民一人一人がスポーツをやって元気になってほしい、トップアスリートの活躍を見て感動や豊かな気持ちを味わってほしい、地域社会がスポーツを通じて豊かなコミュニティを作ってほしい…いわば、スポーツを「する権利」「観る権利」「支える権利」をスポーツ権として定義し盛り込んだのが新法の特徴でした。

 小池知事就任により、私は、委員会から引きましたが、コロナ禍でオリパラも根底から揺らぎました。あまりにゴタゴタが続いたためスポーツ基本法に込めた理念のような話、スポーツが社会にもたらす役割などは世の中で忘れ去られてしまったようで忸怩たるものがあります。

 一方で、ラグビーワールドカップは、そのレガシーとして、英国名門の「ラグビースクール」が日本校を創設する構想を大会開催中に発表しましたが、ついに、場所が千葉大学柏の葉キャンパスに決定。着々と準備がすすんでいます。

 コロナはいずれ収束すると私は信じています。そのとき「東京2020」のレガシーを次代に継承していくために、社会におけるスポーツの価値を皆で呼び覚ましていかねばなりません。    

(東大、慶應大教授)

自治体首長のコロナ対応、成否を分けたの何か?【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第7回】

2021.07.12 Vol.743

 前回の本欄で、新型コロナワクチンの大規模接種をめぐる各地の混乱から、日本の行政機構のロジスティック能力が著しく低下していることを述べました。医療従事者と高齢者への接種は順調に進んでいた矢先、今度はワクチン不足により、政府が職域接種を一時中止する事態に。見込みの甘さをまた露呈してしまいました。また行政能力の低下を痛感させられます。

 一方で、少し時系列がさかのぼりますが、各地で混乱が続く中でも自治体によっては首長が見事なリーダーシップを発揮して住民の接種を順調に進めています。私が生まれた神戸市では、久元喜造市長が、神戸生まれの楽天・三木谷浩史会長兼社長からの協力申し出で、ヴィッセル神戸の本拠地、ノエビアスタジアム神戸を大規模接種会場のひとつに設置。市内9か所の集団接種会場と、800の病院・診療所の個別摂取も併せた猛スピード接種により、5月末時点で15万人ほどだったのが、6月に入ってから1か月で40万を超える規模まで増やしました。ここにきて、前述した国のワクチン供給不足のあおりで接種の新規予約を停止しましたが、ひとつの方向性を示したと思います。

 久元市長は私より一回り上の67歳。灘高校、東大法学部の先輩でもあります。自治省(のちに総務省)時代は地方行政に関わり、総務省の自治行政局長などを歴任後、神戸市の副市長へ。8年前に市長に就任されました。地方自治のスペシャリストとしての見識を平時の行政運営だけでなく、このコロナ禍という歴史的有事でも存分に発揮されました。

 千葉市でもコロナ禍が起きた当初から、当時の熊谷俊人市長が国の基準にとらわれずにPCR検査をスムーズに受けられるようにし、病床を確保。SNSで最新の感染警戒情報をわかりやすく伝えるなどし、その名声は県内に広く知られるところに。3月の千葉県知事選では過去最多の得票で圧勝しました。

 久元さんも熊谷さんも、決断力、実務経験、実践力に目を見張るものがあります。とかく、首長は大都市は特にプレゼンテーション能力が注目されがちですが、コロナ対策では実行力、マネジメント力で成否がわかれたのではないでしょうか。国が地方に権限移譲を進めているなかでは、選挙で誰を選ぶのかがますます重要だということも少しは認識されたのではと思いたいのですが。

 

東大文系が数学を入試に出す理由【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第5回】

2021.05.10 Vol.741

 少し前のことですが、今年の大学入試を振り返る報道のなかで、早稲田大学の受験者数減少が話題になっていました。早稲田は毎年10万人以上が受験してきたなかで、今年は約9万1,000人に減少しました。数学を必修化した政治経済学部の一般入試のほうは、前年比で28%減となる3,495人。報道では早稲田の入試改革に否定的な論調が目につきました。

 しかし、私からすれば「新しい教育様式」に踏み出した、早稲田の大いなる一歩だと思います。7年前、メディアへの寄稿で私は、日本史や世界史でマニアックなクイズのような出題をする早稲田の「知識偏重型」入試について厳しく申し上げたこともありますが、その後、私自身が文科省で入試改革を主導していく中で、いちはやく数学の必修化というかたちで成果をみせてくれたのが早稲田の政経でした。

「ビッグデータの時代なのに、データに関する知識や数学に関する知識がないのは困る」と、時代の変化に対応して改革の決断をされた須賀晃一学部長(当時)に改めて敬意を表すとともに、数年後の就活で企業側の反応が必ず良いものになると私は確信します。

 そのあたりのことは、このほど創刊したニュースサイト「SAKISIRU」ではじまった私の連載第1回でも触れたのでお読みいただきたいのですが、本欄では、東大の文系学部はなぜ2次試験でも数学を出し続けているのかを述べてみたいと思います。

 法学部で学ぶ法律は一見すると、法律の知識を習得することに目が行きがちですが、現実社会で起きる出来事について法的に対応する際、法律の文言を知ってさえいれば済むわけではありません。むしろ杓子定規にいかないことのほうが圧倒的に多い。そうなると、法律の知識をどう運用するかが、実社会では問われるわけなので、論理的思考能力、論述能力があるかどうかが重要です。法律オタクと、大学教授ら専門家との違いはその有無です。

 目の前のケースが複雑化するほど論理的思考能力が要求されます。その下地になるのが3つの力。すなわち難問に取り組む「姿勢(アティチュード)」、投げ出すのではなく別の方法を探してでも粘る「耐性(レジリエンス)」、そして仮説を立てて先を見通す「予測力(アンティシペイション)」です。これらはまさに数学で考える力を身につけるものです。

 もし、本欄を気にして読んでいる私大の文系学部の学生がいて、数学をほとんど勉強してこなかったのであれば、まだ時間はあります。もう受験の結果を気にしてなくてよいのです。改めて勉強してみませんか。社会科学、人文科学、どの専攻でも上述した3つの力があれば分析力がぜんぜん違ってきますよ。            

 

文系、理系「分断」の終焉【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第4回】

2021.04.12 Vol.740

 

 脳科学者の茂木健一郎さんが4月2日付のブログで「東京大学の中に、新たに、英語で教育・研究をするリベラルアーツ・カレッジをつくる」ことを提案されていました。

 東大といえばこれまで入学の段階で、法学部を主にめざす「文一」、医学部に多くが進む「理三」といった具合に、文科、理科それぞれ三類に振り分けられてきましたが、文系、理系の区別をなくし、入学後に自分で科目を組み立てて、専攻は入学してから決めるように枠組みを変えることを提言されています。

 茂木さんも引き合いにされていますが、イエレン米財務長官らを輩出したブラウン大学では導入済み。日本でも秋田県の国際教養大学などではじまっています。しかも「茂木提言」は、全面的なAO入試による変更を訴えるなど、なかなか先鋭的ではありますが、東大が大改革をすれば日本中の大学の入試、教育のあり方を塗り替える可能性を秘めているのは間違いありません。

 もちろん、茂木さんの提案を実現するのは、容易ではありませんが、2030年代以降を見据えた人材育成の方向性としては全くもって理にかなっています。たとえば文系、理系の「壁」を取っ払うことは私も長年指摘しました。私自身も、東大教養学部で藝術・学術・社会をつなぐコンセプト「学藝饗宴ゼミ」を主宰していますが、まさに文一から理三まで所属しているので、茂木さんの提案に賛同します。

 AIの進化で定型的な業務が代替され、産業や働き方が激変される未来において、技術革新や新しい価値を創造することや、AI、データを駆使することが求められます。そのためには、STEAM(=Science、Technology、Engineering、Art、Mathematics)や、デザイン思考の習得が必要になります。

 国としてもすでに高大接続改革において、高校における文理分断の解消に乗り出しているわけですから、大学でもその流れを強化し、幅広い教養を身につけて専攻を見定めていく仕組みに変えていくのは当然のことでしょう。専攻とて文系理系にとらわれる時代は終わりです。

 茂木さんが言われるように、物理学と国際関係論をダブル専攻する学生がいていいのです。いま、まさにコロナ禍で政策現場は前例のない、非常に難しい決断を迫られているわけですが、政治的なリーダーは経済学と医学、二つの知見が求められているのをみても、この複雑な時代に何が重要なのか示唆しているのです。

 文理分断の終焉の動きはますます加速しています。これはすでに社会人になっている皆さんにとっても決して無縁ではありません。大学院などでの「学び直し」にもつながってきます。

 

斬新なビジネススクールをプロデュース【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第3回】

2021.03.08 Vol.739

 

 時折、大手企業の幹部向け研修や社長候補の若手幹部が学ぶセミナーで講師のオファーをいただきますが、近年はあまりお受けしていませんでした。文科大臣補佐官として公職を優先していたことが一番の理由ですが、新任役員や部長級の方々はビジネスパーソンとして、ある意味「完成」されていて、私からあまり申し上げることがないように感じていたことがあります。

 もちろん、特定の社会課題がテーマの時で当該業界の企業幹部の方々と意見交換するのはむしろ大歓迎で私も現場の知見を大いに学ばせてもらっていますが、いわゆるビジネススクールのような社会人向けの学校、それもリーダー層向けでの講師経験が多くないのは確かです。

 もともと大学教員として大学生や大学院生と学び語らい、あるいは社会創発塾で20代の社会人の皆さんと実践的課題を討議しているように、若い人と学びの場を構築・実践していく方が得意かもしれません。そして、私が主宰する学びの場では、プロジェクトベーストラーニング(PBL)を取り入れています。

 PBLは、現実の課題の解決策を調べ考え抜くものなので、絶対的な「正解」があるわけではありません。ビジネススクールでも現実の企業のスタディケースを使って学びはしますし、討論も取り入れて一つの正解にこだわらずに思考法の訓練はしますが、少なくとも大手企業の幹部クラスの40代後半〜50代のベテランの方々にとっては「今更」と感じる部分も多いのではないでしょうか。

 しかし、このほど企業幹部向けに新たな試みをやってみることにしました。5月に開講する「アゴラ・サーバントリーダーシップ・ビジネススクール」では、3つあるクールの第2クール(今夏)で、私自身がカリキュラムから講師陣のキャスティングまで全体をプロデュースできるとあって、これまでにない「オトナのビジネススクール」にします。

 日本経済が「失われた30年」に突入したのは、企業の新陳代謝による活性化に乏しいこともありますが、既存の大手企業が新風を吹かせる天才的な若者たちとのコラボレーションが足りないと長年感じていました。そこで今度のスクールでは、10代から活躍している私の教え子の起業家たちのプレゼンを聞いて意見交換や討論などを展開しようと考えています。

 良くも悪くも、歴史のある企業が幅を利かせているのは日本経済の現状です。ただ伝統的な大企業にはリソースがあります。企業の内部留保は475兆円と8年連続で過去最大を更新中。これをいかに若い才能への投資に振り向けるか。新しいスクールが、ベテラン役員の皆さんをインスパイアさせ、投資の目利き力を鍛える一助にしたいと思っています。

(東大、慶應大教授)

日本橋が「社会リノベーション」の発信源に【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第2回】

2021.02.08 Vol.738

 農業や食に関わるビジネスで女性起業家の活躍が注目されています。私のゼミのOG、長内あや愛さんもその1人。2年前、慶應SFCを卒業するタイミングで、日本橋に「食の會日本橋」というレストランを創業しました。

 提供するのは「復刻料理」。福澤諭吉や渋沢栄一が食べたものはどんなものだったか、往時のレシピや食材を研究してきた成果をもとに考案したメニューが並びます。中学生の頃から「14歳のパティシエ」というブログを書き続けるなど、食への探究心は人一倍。SFCを卒業した後は慶應大学院の政策・メディア研究科で学び、今も事業の傍ら、食文化を追究。大学院でも、彼女は私のもとで修士論文をこの1月に書き終えたばかりです。

「福澤諭吉先生が食べたお菓子」も研究テーマの一つ。福澤は江戸末期、幕府使節団の通訳として二度の渡米、一度の渡欧をしています。福澤が要人同士の会談に随行し、訪問先からおもてなしを受ける際に出てきたのが洋菓子です。

 長内さん曰く、お菓子というのは「非日常を演出し、人間にとって栄養価の高いもの」。お菓子を楽しんだ福澤たちは、当時最先端の西洋文化に触れ、のちの日本の近代化に身を投じていったことを考えると、お菓子ひとつとっても、歴史的ストーリーを感じさせます。

 長内さんが店を構えた日本橋は、以前から私にとっても重要拠点の一つでした。2016年にはライフサイエンス領域のイノベーションに取り組む人たちの拠点や人的交流を進める場として、「ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン」(LINK-J)を立ち上げました。ここをハブにするように、日本橋エリアでは300社以上の関連ベンチャー、スタートアップが活躍するまでになってきました。

 日本橋は長内さんにとって「食文化の聖地」。コロナ禍で大きな試練に見舞われながらも、老舗の多いこの街に新しい風を吹かせようとしています。そして、日本橋本町は江戸開府以来、薬屋が商いをし、いまも製薬会社が拠点を置いています。伝統ある「くすりの街」で、私や教え子たちが関わってきたLINK-Jが先進的医療の歴史をこれから作ろうとしています。

 折しも、日本橋の頭上を通っていた高速道路の地下化への動きが加速しつつあります。街づくり、食、医療…あらゆる分野で日本橋エリアがその伝統的リソースを礎に、日本社会に新しい付加価値を提案する「社会リノベーション」の発信源になろうとしています。
          
(東大、慶應大教授)

コロナ時代にも生きる吉田松陰の真髄【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第1回】

2021.01.11 Vol.737

 あけましておめでとうございます。本年より連載名を新たに「REIWA飛耳長目録」と題し、社会や人生の「難問」に向きあう方々のヒントになると思うことを綴っていきます。

 さて新しい連載タイトルの由来の話から始めましょう。「REIWA」は言うまでもなく「令和」。では「飛耳長目録」とは何でしょうか。ご存知のかたは幕末の歴史にかなり精通されていますね。

「飛耳長目」とは、吉田松陰が松下村塾で学ぶ若者たちに新しい時代の動きや情報を収集することの大切さを説いた言葉です。現代風にいえば、飛耳長目はインテリジェンス、飛耳長目録は見聞をまとめたレポートといったところでしょう。

 なぜ、松陰はインテリジェンスの意義を若者たちに唱えたのでしょうか。松下村塾は、高杉晋作、伊藤博文ら幕末維新の英傑を続々と育てたことでおなじみですが、現代の大学でいえば、各界のリーダーを着実に輩出し続ける“超名門ゼミ”。

 もう四半世紀以上前のことですが、私は通産省から山口県に赴任し、松下村塾などの松陰の足跡に触れたときから、ゼミとしての松下村塾の成功要因をずっと分析し続けてきました。やがて、この「飛耳長目」に秘訣があるように思い至りました。松陰は若い頃、異国の船が日本近海に出没するようになった情勢を受けて、日本各地の海防体制を見聞して回りました。

 これは私の推測ですが、人間は歩く間にさまざまな物事を考えます。あるいは同行者と語らい、議論をして思索を深めます。それまでに書物で学んだ知識を自らの血肉にし、さらに旅先で新しい情報に触れて思考をアップデートし、自らの見識を磨き続けたわけです。百聞は一見にしかず。松下村塾での松陰の“教授”としての実働期間は数年に過ぎませんが、事細かな知識を教え込むよりも、生き様を示し、国の未来を憂う若者たちのハートに火をつけたのではないでしょうか。

 古典を含めた圧倒的な教養と、津々浦々で見聞した最新情報で思考を究め、自分なりのビジョンを形成し、その実現に向けて邁進する――これこそ、のちに時代を変えた若者たちを送り出した、松陰のイノベーター養成者としての真髄だったのだと思います。

 異国船の登場で武家社会が根底から揺らいだ幕末。不確実な世界の展望を拓こうと、自分で見聞きし、自分の頭で考え続けた松陰や若者たちの流儀は、コロナ禍に直面する私たちに大いなる示唆を与えてくれます。 
         
(東大・慶応大教授)

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